正道会館とは

正道会館とは

館長ご挨拶

はじめに

人は魂の修行の為にこの世に生を受け、
父母から肉体を授かり産まれてきました。

故に我々の両親に一生かけても
返せない恩があります。

親孝行ができる立派な人間を育てる、
これが正道会館のスローガンです。

健全なる肉体に、健全な魂が宿ると言われてるように、
魂と肉体を鍛えることが人生にとって最も大切なことなんです。

徒手空拳、一人でも充分鍛錬でき、尚且つ対人練習で何人とでも稽古できる。
肉体を鍛えるだけでなく、呼吸法で内臓を鍛え、武道としての所作を学ぶことにより、
礼儀、礼節が身に着く。

まさに空手は全てを兼ね備えた武道であり、スポーツであります。

正道カラテは貴方の人生の最強のパートナーとなります。

創設者である石井和義館長の指導により、支部長による実行委員会によって開催された昨年の正道会館・全日本選手権大会『KARATE ALL JAPAN 2022』は、まさに“アマチュアの祭典”というべきものだった。

 エディオンアリーナ大阪(大阪府立体育会館)第一競技場に、実に9面もの試合場を設置。そこで一般男子3階級をはじめ女子、マスターズ、ジュニア、そして新設のカラテなどさまざまな部門の試合が行なわれた。総カテゴリー数は、なんと60を超える。端的にいえば老若男女。それだけ多くの、そして幅広い層の人間が空手に打ち込んでいるということであり、彼らが目指す舞台を作ることが『KARATE ALL JAPAN』の目的なのだ。

正道空手に限定することはない。
みんなのための空手があって良いじゃないか。
明るく楽しい空手、人生の空手、生きるための空手を広げたい。

それが現在の正道会館のスローガンだ。

格闘技と言えばプロ、つまり選ばれし“超人”たちの世界というイメージは根強い。MMA、キックボクシングなど世界中どこかで常にプロのイベントが開催され、ファンを熱狂させている。プロの舞台が輝けば、それを目指す人間も多くなる。つまりプロの登竜門としてのアマチュア大会も活性化するわけだ。

ただ、スポーツは「トップを目指す」者のためだけにあるのではない。空手も同じだ。日々の練習で汗を流す、その充実感。自分のレベルに合わせた試合に出場するため、できる範囲で頑張ること。石井が好んで使う「魂の修行」という言葉も、単に強さだけを求めているわけではないからこそ出てきたものだろう。

正道会館の「みんなのための空手」というスローガンは、実は設立当初からの精神的な軸でもある。正道会館は、何よりもまず「おそろしく生徒が多い空手道場」として成功したのだ。それが原点だと言っていいだろう。正道会館の前身とも言える極真会芦原道場大阪支部が設立されたのは、1977年のこと。「たぶん、日本一生徒が多い空手道場だったんじゃないかなぁ。一度の稽古が200人くらいで、2レッスンやってましたから」当時のことを、石井はそう振り返っている。入門者が1日に40人もいたというのだから凄まじい人気だ。芦原道場の稽古が行なわれていたのは大阪の中心・難波にある大阪球場内の文化会館という施設だった。そこから神戸、京都、奈良、滋賀、岡山と、極真芦原道場は関西一円に支部を拡大していった。それを成し遂げた石井は、当時22歳から27歳という時期だ。とてつもない早熟というしかない。その後芦原道場を退会した石井は西成区岸里で空手教室を、そしてJR環状線の天満駅前に正道会館総本部をスタートさせた。いわゆる駅前空手道場の魁である。こうした場所選びのセンスも、石井にはあったということだ。

ビジネス的に見ても「生徒が通いやすい場所にある」ことは重要。強くなるには環境など関係ないという考えは、石井にはなかった。格闘技、中でもフルコンタクト空手には厳しく、ストイックなイメージがあった。「ケンカに強くなりたいから空手を習う」という若者も、現在よりはるかに多かったのではないか。そうした、ある種の怖さが、空手の“幻想”を作っていった面もある。だがそうした幻想に、石井率いる正道軍団は無頓着だった。正道会館が目指したのは、誰もが楽しめる空手であり、楽しみながら強くなること。

正道会館は誰もが楽しめる、生徒数の多い道場であると同時に“超実力主義”でもある。人呼んで“常勝軍団”。中山猛夫は極真時代、全日本大会で準優勝している。佐藤塾、拳武道、白蓮会館、養秀会、リアルチャンピオントーナメントなど、実戦空手大会を次々と制覇して正道会館の名は全国区になっていった。石井が28歳にして開催した正道会館の全日本大会、その会場は大阪府立体育会館の第一競技場だった。今も変わらぬ、関西屈指の大会場である。

常識的に考えれば、新興の空手団体には大きすぎる会場だ。しかしフタをあけてみれば満員に。正道会館は初期の段階から世間へのアピールも重視していた。空手という素晴らしい格闘技、武道を世の中に広める。すべてはそのための活動だったといってもいいだろう。正道会館は第7回全日本大会から、リングでの試合を導入している。そして延長戦からはグローブを着用しての顔面パンチを解禁。それが時代の流れだった。フルコンタクト空手のルールは(流派によって細かい違いはあるものの)基本的に素手で闘い、顔面への手技、つまりパンチ等が禁止となっている。しかし強さを追求するのであれば、ボクシングやキックボクシング、ムエタイのように顔面パンチの技術は避けて通れないものだ。空手に突きつけられた課題から、正道会館は逃げなかったのである。実際、正道の選手たちは「顔面あり」の世界でもしっかりと結果を残した。

グローブ空手のトーナメント、優勝賞金500万円をかけた「トーワ杯」で2連覇を達成、佐竹、後川、金が上位を独占した。さらに前田日明の団体・リングスにも参戦し、プロレスや総合格闘技のルールにも挑戦する。こうしたあくなチャレンジ精神がファンの心を掴んでいった。大会に選手を出場させるだけでなく、正道会館そのものも東京進出を果たす。東京に道場を出すだけではなく、ビッグイベントも開催。時を少しさかのぼって1991年、国立代々木競技場第二体育館でUSA大山空手との対抗戦を開催。空手の大会ではあるが、トーナメントではなくワンマッチの対抗戦という形式も新鮮だった。チケットソールドアウト、超満員となったこの大会で実現したのが、ウイリーウィリアムスを大将とする最強軍団と佐竹、川地、柳沢、角田、玉城などの常勝軍団の対抗戦。この大会をプロデュースしたことで、自信をつけた石井は更に上を目指す大会を開催する。それが、翌年1992年東京体育館で開催された『格闘技オリンピック』であった。リングスをはじめシュートボクシング、大道塾などさまざまな団体・流派を招いての異色かつ豪華なマッチメイクが話題を呼んだ。前田日明がエキジビションマッチで花を添え、西良典、市原海樹、平直行など時代を代表するさまよえる格闘家たちが戦いの場を求めてリングに上がっていった。そして選手達はそれぞれの輝きを発する。この年の夏には『格闘技オリンピック2』が開催。空手の試合場でグローブをつけて闘う試合が主軸で、ここで金泰泳がマンソン・ギブソンに勝利し、株を上げている。

さらにこの大会には、極真空手史上最強の外国人選手の一人と言えるアンディ・フグがフリーとして参戦。プロへの道を進み始めたことでも記憶に残るものとなった。試合はフルコンタクト空手ルールで行なわれ、必殺のカカト落としをはじめ凄まじい実力を発揮して正道のエース柳澤に圧勝。ここからアンディには、さらなるスター街道を登っていく。そして1993年、ついにK-1グランプリが初開催される。K-1の「K」は空手、キック、カンフーなど世界中の格闘技の頭文字を象徴するもの。各ジャンルの世界王者8人を集め、ワンデー・トーナメントで最強を決める。実現不可能だと思われた大会は、石井の執念とロマンで実現された。実際、WKA世界王者のモーリス・スミス、そのスミスを倒したことで世界に名を轟かせたピーター・アーツ、ムエタイ重量級の雄チャンプア・ゲッソンリット、伝説の無名最強王者ブランコシカテック、ヨーロッパ最強テクニックを持つ王者アーネストホーストなど、ハイレベルとしか言いようがないメンバーが出場している。しかも優勝したのは当時、無名だったブランコ・シカティック。佐竹をワンパンチでKOしての決勝進出で、もう一人の決勝進出者はアーツとスミスに勝ったアーネスト・ホーストだった。この衝撃的な結末で、K-1人気は徐々に爆発。年を重ねるごとに規模を大きくしていき、1996年にはフジテレビでゴールデンタイム放送、1997年には格闘技初の東京、大阪、名古屋での3大ドーム大会を行なうまでの大成功を収めることになる。その後は、日本テレビでK-1ジャパンがスタート、そしてTBSでK-1MAXがスタートし、前代未聞の民放3局を制覇、K-1は世界中に広がりをみせて社会現象となった。

また2002年に石井は、総合格闘技・PRIDEと組んでK-1.PRIDEの合同イベントをプロデュース、格闘技で初めて国立競技場に進出し、大成功を収めた。
この合同イベント『Dynamite!』は、柔道元金メダリスト・吉田秀彦のプロデビューやボブサップのデビュー、ミルコと桜庭の激闘など歴史的なイベントとなった。四国の片田舎の空手道場で入門した若者は、大阪、東京と戦いの場を広げて、世界最大規模のプロ格闘技イベントを取り仕切るまでになったのである。
 そして今また、石井は原点と言える「道場」の世界に戻ってきた。その姿勢が「参加型の大会」である、この全日本にも表れている。プロへの憧れがあるからアマチュアも増える。しかし見方を変えれば、アマチュアを充実させることで、よりハイレベルなプロ(トップ選手)を生み出す土壌を作ることもできるのだ。
 2020年の東京オリンピックでは空手が競技として実施された。武道としての空手の魅力、アマチュアの重要性、何より汗を流し、心を鍛錬することの素晴らしさ。出場選手たちは、それを試合場で確認するのだろう。

さあ、皆んなで挑戦しよう!
正道を邁進しましょう。

タイトルとURLをコピーしました